川本喜八郎氏を悼んで
今年の夏は、すこし過酷過ぎやしないか。
先日若くして今敏監督が亡くなられた。その傷と向いあうのもまだ辛い最中に、今度は人形アニメーションの巨匠、川本喜八郎さんが亡くなられた。85歳だった。
パリでの「死者の書」ワールドプレミアを思い出した。上映前のカクテルパーティで、川本さんは、明らかに自分より若い人達にさりげなく椅子を譲りながら、美しい姿勢で立って談笑されていた。その内容は誰よりも冒険心あふれていて、更にこれからの作品製作の豊富を、あたたかく語っていた。ついこの前のことのように思う。
作品は仏教的な思想を背景にして、とても難しいテーマを描いていた。それを、パリで。異文化の観客にとってそれは難解だったとは思うが、それでも多くの人達が感動し震えていた。私も見終わったあと涙が溢れて、しばらく席を立つことが出来なかった。言葉にならない思いを涙ながらに伝えたとき、川本さんはただただ微笑んで頷いておられた。昨年自分たちは、世界四大映画祭のひとつと呼ばれるロカルノ国際映画祭でアニメーションの特集を開催した。タイトルは「マンガインパクト」。約200作品の日本のアニメーションを、初めて非アニメーションの一般大規模映画祭で大特集を実現した。当初、映画祭側はおそらくマンガ的な日本のアニメーションを主眼にしてはいたのだろう、だが当方でプログラム協力をする際に、短編・アートアニメーション系作品もきちんと扱うことを条件とさせてもらった。
無事快諾され仕事をスタートしたのだが、 事が進みプログラムの最終段階が近づくと、言葉の端々に短編アート系の作品に対して、映画祭側の消極的な姿勢が伝わってきていた。いつしか自分らの中で、川本さんの作品をきちんと扱うのかどうかが、スイス側との折衝の焦点となっっていった。
あれは銀座だったか。とうとう日本に来ていたディレクター等と大立ち回りよろしく、路上で声を荒らげての討論になった。短編アニメーションに人なんか入らない、川本喜八郎の作品なんて人が入らない。酔っていたとは思うが、彼らのその言葉に、顔を真赤にして 大反論をした。
結果無理矢理に、責任持って最高のプログラム立てるからスクリーンを空けろとタンカを切り、短編アニメーションの複数プログラムと、川本さんのプログラムを上映することとした。スイスにご本人をご招待もするつもりでお電話を何回かしたが、すでにこの頃にはお体が弱っておられるようだった。国境を超え日本文化を表現する先駆けであった氏をにお呼びできず、とても残念であった。
上映は、大成功だった。商業アニメーションのトップ作品と、短編アニメーションのトップ作品を、壁をつくらずに日本の作品として大プレゼンテーションをすることができた。嬉しいことに、映画祭という場所らしく、 芸術性の高い短編作品や川本さんの作品は、数ある巨大映画祭の上映の中でもずっとずっと沢山の観客を集めた。幅広い観客への反応も、とても高かった。川本さんへも人づてにご報告したが、成功を喜んでいらしたという。
あれから何度目かの夏。今年はとびきり暑かった。炎のような作品を残して、川本さんは旅立たれた。残された側は、作品鑑賞後の余韻のように、言葉も見つからずに震えるしかないのだろう。
こちらもどうぞ! 関連してるかもしれない?記事リスト:
Popularity: 3% [?]








